ーーそれぞれが自分のことで精一杯だった、まとめあげるっていうのは無理だったのですね。
小室
そうです。フォーライフレコードは、当時の若者たちからはよくぞやってくれたと支持されたと思うのです。その期待に応えることができたかというと、決してそうではない。ちょっとがっかりというような部分があったと思います。でも、原田真二さんがブレイクしてくれたりで、フォーライフレコードの良さみたいなものも出たかもしれません。結局のところは業を煮やした拓郎が「今度は俺が社長をやる」と言ったのです。それでフォーライフの業績を伸ばすためのレコード作りが始まり、それは「色物レコード化」という風に揶揄されるのに甘んじながら拓郎は業績に貢献しました。でもアーティスティックな意味でフォーライフで何かできたかっていうと…。陽水は食い下がり続けましたね。彼がどういう理由でフォーライフに所属し続けていたのかは、僕にはわかりかねますけど。
ーーフォーライフは60年代から起こったフォーク・ソングに影響を受けて、それまでの枠組みとは異なる、新しい時代を背負った会社という面があったと思います。お話を伺うと過渡期の中にあったのですね。
小室
フォークがニューミュージックに吸収されて、フォークが埋葬されていくというか。そういう埋葬人の役割をフォーライフは担ってしまったという思いもあります。フォーライフがみんなの期待を実現させるためには、中途半端に小さくて中途半端に大きかったのです。アーティストのやろうとすることに対して、経済的なキャパシティーが無かったにも関わらず、後藤さん達はリスクを背負いながらもやろうとしたし。それが返って焼石に水のような形を、背負っていくことを繰り返してしまったと。でもそれはね、小室がよく言うよですよね。「お前が持ってきた話だろう」だから。
ーーそうですか?小室さんが背負わなくてはならいことでしょうか?
小室
いや、そういう風にきっと思っている人がいると思いますよ。その上で僕にできることは何かと言ったら、首をきられない限り僕はフォーライフを辞めないということです。それしか僕にはできることはないのです。

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