——上條恒彦+六文銭の『出発の歌』は、木田さんが編曲をされましたね。合歓の郷でのポピュラーソング・フェスティバル’71でグランプリを受賞後、中村八大さんが編曲を手伝うというお話がでたことがありましたね。
小室
夜中にわいわいやっている僕らの部屋に八大さんが入ってきたんです。それはお祝いに「よかったね」って言うことだったんでしょうか、その時八大さんが「ちょっとねオーケストラとして足りてないから、武道館でやるんなら僕がちょっと手伝ってあげるよ」って言って。それはもう願ってもないことで。高介も「それはぜひお願いします」みたいな感じでお願いしたのです。クレジットはされてないんですけど、武道館でやった時には八大さんの手が加わっていました。でもそれは、高介の編曲は何一つ変えられてはいなくて、低音の補足だったりとか、オーケストラの音としての音圧とかいろんなことで、プロのアドバイスでした。八大さんは、僕にとっては永六輔さんとの歌作りということにおいても、非常にエポックメーキングな人だと思っています。日本の歌の歴史の中で。いずみたくさんとは全然違う路線ですね。強いてあげるならば八大さんは服部良一さんの系譜です。その後のお付き合いは、出会えばニコニコと笑って歓談してもらえるというような間柄でした。
ーー中村八大さんと言えばもうお一人、小室さんは渡辺貞夫さんとも交流をお持ちでしたね。
小室
渡辺貞夫さんがボサノバを持ってきたということはとても大きな出来事で、フォーク小僧の僕にとってもボサノバっていうのはとても刺激的なものでした。しかも、ボサノバのヴォイシングというかコード進行っていうのは渡辺貞夫さんがバークレーから持って帰って、バークレーのジャズメソッドは、そのままボサノバだったというような部分があるわけです。
ーー一緒に曲もお作りになりましたね。
小室
渡辺貞夫さんが作ったメロディに「ちょっと、あなた詞作れる?」って言うから、僕は貞夫さんのところに居座りたいわけだから、作れもしないのに「作れると思います」と言ってしまいました。ボサノバの曲で、僕が作詞をしたもので、確か朝日ソノラマでそれは出版されていたはずです。

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