——そんな六文銭が、アングラフォークのURCからレコードを出すことになるのですね?

PHOTO / 井出情児

小室
それは西岡たかしとの交流からです。当時関西フォークの台頭があって、それは僕にとってやっぱり刺激的なことで、中でも高石ともや、そして岡林信康の存在でした。当時、高石ともやは僕のアパートにもしょっちゅう遊びに来たり、よく話をしたんです。西岡たかしとも、東京に来るたびに逗留しているホテルに行って話し込んでいました。五つの赤い風船の歌作り、音作りはやっぱり衝撃的だったんです。それまでのフォークソングから僕らが手に入れたものを、西岡たかしはマニュアル通りにやっているのではなくて、西岡たかし化していると思ったんです。URCが生まれて、西岡たかしさんはその幹部として迎え入れられて、「六文銭出さんかって」というような話で。それはもう西岡さんがプロデュース、ディレクターをしてくれるのであるならば、喜んでと。レコーディングは難産しましたけど。
——レコーディングは大変でしたか。
小室
下手くそでした。思いばかりがつんのめっているわけですから。どないせえっちゅうねん、みたいなことを僕らが言いだす。西岡さんも、下手くそと思いつつも何とかこれをまとめあげようとしてくれている。さらには楽曲は揃わない。だからLP半面分の時間もなかったんですよ。なので45回転にしたのです。
あと文化放送からデンスケと呼ばれる高額のポータブル録音器を借りてきて、街頭で街の音を取材してコラージュしまくって。苦肉の策からの作品化、結果的にLP半面をただ楽曲を聞くのではない一つの音作品にしてしまったのも楽しい思い出です。
——関西勢の中に、同じ東京からURCに関わったジャックスとの交流もお聞かせください。
小室
ジャックスはサイケデリック・ミュージックと言うか、アバンギャルドのフランク・ザッパであったりとか、そういうようなことなのかなあ。ジャックスはアートの匂いがプンプンで。でもあのパフォーマンスですからね、僕らの美意識とはちょっと違うものでした。小室等と六文銭って名乗っている時に、ジャックス解散後の木田高介が入ってくれました。僕は彼のバイブが欲しかったんです。バイブ奏者のゲイリー・バートン、マレット4本使って、バイブを叩くっていうのがゲイリー・バートンのスタイルで、高介はそれをマスターしていました。それとあとはやっぱり彼の音楽力、なんでもすぐ譜面にしてくれましたからとても助かりました。

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