なぜ、鈴木茂だけだったのか
——以前から不思議に思っていたのは、立教のPEEPや慶應の風林火山の周辺に集まっていた当時のアマチュア・ミュージシャンの中で、後にプロになったギタリストが意外と少ないことなんです。ドラマーは松本さん、林さん、幸宏さんがいて、ベーシストは細野さん、小原さんがいた。でも、ギタリストは茂さんくらいですよね。本来、学生にとってはギターが一番手に入れやすい楽器で、ギタリスト志望が一番多いはずなのに。
鈴木
ああ、そういえば、そうですね。
——先輩にはフィンガーズの成毛滋さんがいて、高中正義さんや竹田和夫さんが顔を出すシーンもあるのですが、一緒にバンドをやるとなると皆が茂さんに声をかけるという状況だったのか……。
鈴木
当時、最初はとにかく皆ギターを弾きたかったはずなんですよ。自信ないとベースをやるという人が多くて(笑)。僕は最初からギターが好きで、ギターをずっと続けていただけなんですが、ギタリストが少なかったのは、どうしてなのかな? 高中や竹田くんが、どこかのバンドに加わっていれば、雰囲気的にも違ってきたと思うんですが……。
——これはあくまで仮説ですが、当時プロを目指していたギタリスト志望者はジミ・ヘンドリックスやテンイヤーズ・アフターのアルヴィン・リーを目標に、ブルージーなロックで速弾きなどの技術の習得に励んでいたイメージなのですが、PEEP=風林火山周辺のバンドはかなり特殊で、プロコル・ハルムからバッファロー・スプリング・フィールド、スライ&ファミリー・ストーンまで好まれていた音楽が幅広いし、技術というより楽曲全体のセンスを大事にしていた感じですよね。そういった感覚にフィットできるギタリストは、茂さんくらいだったんじゃないかと。
鈴木
なるほど(笑)。確かに僕は他のギタリストと同じようにベンチャーズがギターの入口だったけれど、インストゥルメンタルの部分にこだわっていたわけではないんです。もともとメロディアスな曲であるということに惹かれたし、ヒット曲の歌メロをギター・サウンドで表現しているバンドだととらえていた面がありましたね。自分がギタリストとしてやっていく方向性をどうしようかなと迷った時期もありましたが、テクニックを磨いていくギタリストというより、音楽そのものをつくっていくミュージシャンというか、曲を書いて、できれば歌もうたって、アレンジもして、総合的なサウンド・メーカーになりたいと思っていたんです。
 だからジャズでいえばグラント・グリーン、ロックだったらジョージ・ハリスンみたいに、テクニックを追求するというよりも、音楽のなかで一番適したギターの音色を探り出せるギタリストになりたかった。僕は高校2年生くらいから、既にそういう方向でギターを弾いていたし、音楽に接していたんです。だから細野さん達と一緒にやれて、あのシーンに溶け込めたのかもしれません。
——「ギターよりも音楽全体」という姿勢は、その後も続いたのでしょうか。
鈴木
ギターが弾けなくても音楽がつくれればいいと、それくらいに思っていた時期もありました。もちろん、楽器ではギターが一番好きだし、自分の中でギターの占める割合があまり少なくなり過ぎるとマズイなと思う時もあります。ギターを選んだ理由が見いだせるような音楽はつくりたいですね。ギターでしか出せない音色もあるし、キーボード・プレイヤーがつくる音楽と、ギタリストがつくる音楽はやっぱり違うと思うんですよ。
 ジェリー・リードっていうカントリーのギタリストがいるんですが、とにかく演奏がうまいんです。カントリー独特のフレーズも、いわゆる速弾きもできる。ただし、それで彼の音楽が完成するわけではなくて、ギターのフレーズの上に自分の歌を乗せていくんだよね。そういうスタイルで自分もサウンド全体がつくれればいいなと思います。
——そういった茂さんの姿勢があったからこそ、はっぴいえんどは珍しい構造のバンドになったのかもしれませんね。だいたいのロック・バンドは特定のメンバーが曲づくりを担当していて、他のメンバーの役割は基本的にプレイヤーに限定されている場合が多いわけですが、はっぴいえんどは全員が作詞・作曲に関わりました。松本隆さんが作詞のスペシャリストで、細野さん、大瀧さん、茂さんがそれぞれ曲を書き、自分が書いた曲についてはアレンジのイニシアティヴもとったわけですよね。
鈴木
そう、はっぴいえんどというビルの中に、テナントがいくつか入っているような感じでしたね(笑)。

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