1965年のベンチャーズ2回目の来日、66年のビートルズ来日の影響で、日本でも数々のアマチュア・バンドが生まれた。「数々の」と記したが、高価なエレキ・ギターやドラム・セットを揃えるのは高校生や大学生にとって簡単なことではなく、中学2年生でベンチャーズのコピー・バンドを結成した鈴木茂は恵まれていたといえるだろう。恵まれていたのは経済面だけではない。東京・世田谷の「天才ギター少年」は、あるサークルのオーディションを受けたことをきっかけに、音楽的な才能と交友関係を大きく広げることになる。エイプリル・フール、はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、ティン・パン・アレー、YMO……伝説のバンドのメンバーが、ごく限られたエリアで邂逅を果たしていた「偶然の必然」。

心の中のレコード棚ができるまで

2歳の頃

——音楽との出会いのお話からお伺いできますか。
鈴木
僕の場合は、母親と一番上の兄が音楽好きだったことが、一つのきっかけですね。母親は島倉千代子さんや美空ひばりさん、兄はニール・セダカやエルヴィス・プレスリーが好きでした。いわゆるドーナツ盤のレコードを集めていて、小学生の頃から僕もよく聴いていたんです。FENも聴いていましたが、家にあるレコードを聴くことのほうが多かったかな。
 最初は自分がどういう音楽が好きなのか、よく分かっていなかったと思います。初めて「ああ、この曲は好きだな」と思えたのが、ニール・セダカの「恋の片道切符」。それからだんだん目覚めるようになってきて、心の中のレコード棚ができてきたというか、「いい曲」の基準が自分の中でそれなりに生まれてきました。

2歳の頃

——ギターへの興味も同時に生まれてきたのでしょうか。
鈴木
「恋の片道切符」は単純に曲としていいなと思っただけで、ギターへの興味はまだですね。ギターって、映画のワンシーンで小林旭も持って登場するものというか(笑)、ちょっと不良なイメージがあって、遠い存在でしたね。
 家業が自動車の修理屋だったこともあって、僕は機械が好きだったんです。当時興味を持っていたのはラジオ。自分でつくってみたりしていましたね。最初につくったラジオのスイッチを入れて、ポンと流れてきたのが、ビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」だったことを憶えています。
——それは印象的なシーンですね。
鈴木
ギターに興味を持ったきっかけは、ビートルズというより、ベンチャーズですよ。ベンチャーズでギターがグッと身近なものになりました。長男がギターを買ってバンドを始めたので、コッソリそのギターを借りて弾き始めて、練習しているうちにだんだんうまくなっていった感じです。他のジャンルでもそうだと思うんですが、ある程度うまくなる人は、練習を始めて1年くらいで成果が出るんですよ。夢中になって朝から晩までずっと弾いていましたから、僕も1年くらいで、自分でも「ああ、だいぶ弾けるようになったな」と思えるようになりました。
——当時、茂さんのギターの腕前を上げたというのは、例えばどういう練習だったのでしょうか。
鈴木
みんな同じだと思いますが、結局一番上達するのは反復練習ですよね。うちにはレコードプレイヤーが小さいポータブルなのものと、家具みたいに大きなものが両方あって、僕は小さいほうにドーナツ盤を載せて、何回も何回も聴いて、弾いてみて覚える繰り返しでした。速くて聴き取れないようなフレーズは、回転数を落として聴いてみたり。
——茂さんはアコースティック・ギターから始めたわけではなくて、いきなりエレキだったんですよね。
鈴木
そう、コピーしていたのがベンチャーズだったこともあって、僕が弾きたかったのはエレキ・ギターだったんです。最初に自分のギターを買ったのも、エルクという会社のエレキ。アコースティック・ギターに関しては、さっきもいったように小林旭っぽいイメージがあったのかな(笑)。日活映画の感じというか。

鈴木茂ディスコグラフィー ≫