バンド結成~立教大学PEEPのオーディションへ
——自伝『鈴木茂のワインディング・ロード』(リットーミュージック)によると、中学2年生の時にベンチャーズを中心とした4人組コピー・バンド、C. I. Aを結成したとのことですが、バンドのメンバー全員のレベルが高かった感じだったのでしょうか。それとも茂さんだけ突出していたのか……。
鈴木
  • 中学時代のバンドC. I. Aの物干セッション。
    グヤトーンLG-65Tをプレイしている。

  • 中学時代、
    グヤトーンLG-55Wを手にして。

そうだなあ……その後も音楽を続けることになったメンバーがいたわけではないので、まあ、僕だけが……ということだったんでしょうねえ。
  • 中学時代のバンドC. I. Aの物干セッション。
    グヤトーンLG-65Tをプレイしている。

  • 中学時代、
    グヤトーンLG-55Wを手にして。

——都立玉川高校に入学した後も、C. I. Aは続いたようですが、当時の玉川高校はどんな雰囲気でしたか。
鈴木
高校受験で、明治学院(高等学校)と玉高に受かったんですが、うちは兄弟が4人いたもので、授業料の安いほうを選んだんです。せめてもの親孝行というか(笑)。
 玉高はのんびりしていた雰囲気でしたね。当時は近くに二子玉川園という遊園地があって、友達とそこで遊んだりとか(笑)。東京といっても川べりの田舎ですよ。世田谷でも外れ、どちらかというと神奈川県に近いほうですから。
——今は高級住宅地ですけれど。茂さんのギターの腕を聞きつけて、柳田ヒロさんが会いにきた——という話も自伝には記されていますが、読んだ時は正直「本当かな?」と思ったんです。そんな、将来有望な子供の家庭に、プロ野球や大相撲のスカウトが訪ねてくるようなことがあったのかなと(笑)。
鈴木
僕の1つ上の兄の友達が立正高校にいて、ヒロも立正だったんです。それで「世田谷の奥沢にギターのうまいやつがいる」という噂が伝わって、ヒロが訪ねてきたんですよ。
——つまり鈴木家と柳田ヒロさんは、直接の知り合いではないわけですよね。ヒロさんは、本当にスカウトばりの行動力があったんですね(笑)。
鈴木
バンドやっている人数がもともと少ないから、噂をたよりにしてでも、うまいやつを探す必要があったというか。まあ、ある程度うまくなると、その地域では名前がだんだん知られるようになるんですよ。
——柳田ヒロさんの存在は重要ですね。
鈴木

新宿御苑スタジオにてPEEPの
オーディションに参加する。

当時のキーマンでした。その後につながる人脈の最初の核になっていたのはヒロなんですよ。ヒロのお兄さんの柳田優さんが立教大学で、彼らがやっていたPEEPというコンサートのオーディションを僕はC. I. Aの一員として受けたわけです(67年)。そこで立教の細野(晴臣)さんと知り合い、青山(学院高等部)のムーバーズの林(立夫)、小原(礼)に出会うわけです。

新宿御苑スタジオにてPEEPの
オーディションに参加する。

——立教大学のPEEPは、慶應大学の「風林火山」ともつながっていて、フィンガーズのリーダーだった高橋信之さんとその弟の幸宏さん、松本隆さん、柳田ヒロさんとともにフローラルの一員としてプロ・デビューした小坂忠さんとも出会うことになりますが、玉川高校にいた茂さんとしては一気に世界が広がったわけですよね。
鈴木
そうですね。学校の枠を越えて、一緒に音楽をやる仲間ができました。例えばパーティがあって、そこにバンドの一員として出ていたとして、他に「あ、いいなあ」と思えるバンドがいたとしても、メンバーになかなか声をかけられないじゃないですか。PEEPという場があることで、「どんな音楽が好きなの?」から始まって、「今度一緒に遊びにいこうよ」みたいな話ができたんです。そういった意味では画期的でした。
——茂さんは、細野さんともバンドを組むことになりますが、普通であればなかなか一緒にやろうとはなりませんよね。向こうは大学生だったわけですから。高校生にとっての4歳上って大人に見ますからね。
鈴木
確かにね。でも、細野さんが年齢を感じさせない、フレンドリーな性格だったことも大きいと思います。ご両親もとてもいい方で、細野さんの家でレコードを明け方まで聴いていても、全然文句もいわないで許してくれる人達でした(笑)。
——時代背景的にも、マイク・ブルームフィールドとアル・クーパー、スティーヴン・スティルのアルバム『スーパー・セッション』(68年)が出て、バンドの枠にとらわれずにセッションすることがブームになったのも影響していたのでしょうか。
鈴木
一度バンドに入ったら、そのバンド以外で活動するのは裏切り行為のような感覚でしたが、『スーパー・セッション』が出てからは、自由に活動するほうがカッコいいと思えるようになりましたね。

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