つかの間の長髪をミカ・バンドで刈り上げ
——幸宏さんはどういう格好をしていたのでしょう。
高橋
僕もホワイトジーンズとかをはいていたんじゃないですかね。当時、カッコよかったのは、Leeのピケのホワイトジーンズ。上野のアメ横で探して買いました。
僕も中学2年くらいからアイビーでしたね。それ以降、高校1年にかけて、日本のメンズ・ファッションの王道はずっとVANだったんです。みゆき族(VANの服に身を包み、銀座のみゆき通りに集まる若者達)なんて言葉もありましたし。兄貴達の世代が一番影響を受けていると思います。兄貴の友達はみんなVANの袋を持っていましたね。袋にアイロンをかけていた時代ですから(笑)。その後、JUNも知られるようになって、JAZZとかエドワードも続き、そんな中でMR.VANが登場したんです。MR.VANはヨーロピアンな感じで、当時はコンチ(コンチネンタル)と呼ばれていましたね。僕がハマったのは高校2年くらいかな。
それからビートルズの影響で、サイケデリックになっていきましたね。オーダーでマオルック(スタンドカラーのジャケットなど)をつくったりして。『マジカル・ミステリー・ツアー』(67年)でポール(・マッカートニー)が着ていたような編み込みのベストを母親に編んでもらったり。あれは全部アンティークというか、古着なんですよね。
——幸宏さんには、あまりサイケな格好をしているイメージはありませんよね。昔の写真を拝見しても。
高橋
ペーズリーのシャツとか、着ていた時期はあります。写真では残ってないですけどね。
——幸宏さんが通っていらした立教高校は制服だったのですか。
高橋
制服です。小学校から制服で、中学が学ランで、高校も同じでした。だけど夏服になるとグレーのジーンズをはいて学校に行っていましたね(笑)。白のシャツにグレーのパンツと決まっていたんですが。朝のチャペルの授業(立教はクリスチャン向けの教育機関)が嫌だったんですよね。なんでチャペルが嫌かというと、教師が一番後ろで見ていて、襟足の長さをチェックするんですよ。それで長いと怒られる(笑)。だからできるだけ遅れてチャペルに入っていって、遅刻してソーッと横のほうに立っているようにしていました。もう、教師と追っかけっこですよ。大らかな時代でしたね。
——60年代、70年代の終わりまではロック・ミュージシャンは長髪が当たり前で、パンク、ニュー・ウェイヴの登場で髪を切った方も多かったですよね。幸宏さんのヘアスタイルの変遷は、どうだったのでしょうか。
高橋
19か20歳くらいの時、ミカ・バンドに参加する前にロンドンに行っていた頃、長髪にしていました。すぐに切っちゃいましたけれど。ミカ・バンドの時は刈り上げていましたから。「殿下」というあだ名で呼ばれていて(笑)。それはロンドンでよく見かけたおじさんの影響なんですよ。今思うと20代だと思うんですが、丸メガネをかけていて、いつもアンティークな服を着ていた人がすごくカッコよくて。その人が刈り上げていたから、トノバンと2人で「刈り上げよう」と(笑)。ロンドンの最先端のファッションに影響されて二人とも切っちゃいました。トノバンはグリーンとかオレンジの長髪でしたが、いきなりバッサリ切って普通になっちゃいましたね。
ロックとモードが結びついた一瞬の輝き
——ファッションとの接点で好きになった映画はありましたか。
高橋
『男と女』(66年)は映画としても別格ですが、ジャン=ルイ・トランティニャンのファッションにも影響を受けました。改めてデジタル・リマスタリングで観てみると、やっぱりファッションもいいんですよ、なかなか。特にムートンがすごく印象的で。寒い時期の設定だから、トランティニャンもアヌーク・エーメもムートンのコートを着ているんですよね。トランティニャンはそれを脱ぐと、下はいつもカシミアのセーターにポロシャツみたいな、そういう感じ。フレンチ・アイビー、フレンチ・トラッドといったほうがいいかな。
 次に好きになったのが『個人教授』。最初は音楽が同じフランシス・レイだったから観たんですが、ルノー・ヴェルレーにハマっちゃって。ああいうコーデュロイのパンツに白いポロシャツ……いや、ポロシャツともいえないんです、あれは。アメリカとかイギリスの、フレッドペリーみたいなポロシャツの形じゃないんですよね。それが欲しくて色々と探してみたら、MR.VANが近かった。近い半袖のシャツがあったんです。パンツは圧倒的にマドモアゼル・ノンノン。何十本も買いましたね。股上が浅いのが気になったんですが、当時はそれが流行っていたので我慢してはいていました。
——当時のマドモアゼル・ノンノンは、どういうラインアップだったんですか。
高橋
1店舗でユニセックスのパンツとシャツを展開していて、それぞれ形が全部一緒だったんです。色は豊富で、素材はコーデュロイが中心だったと思います。当時の最先端ではありました。デザイナーは荒牧(太郎)さんという方で、パパスも始めたら、そっちのほうが大きなブランドになっちゃいましたね。
——幸宏さんは純粋に洋服が好きだったということもあると思いますけど、常に映画なり音楽なりとファッションが結びついていたのは、時代背景の影響もあるのでしょうか。
高橋
ファッションと音楽はよく並べて語られますけれど、強烈に結びついていたのは、70年代のグラム・ロックの頃までじゃないですかね。その後におしゃれなミュージシャンって、あまり見たことないんですよ。チャーリー・ワッツとかポール・ウェラーは、年を重ねてカッコよくなった感じですよね。ブライアン・フェリーは若い頃からおしゃれだったけど、センスが独特なところもあるし。おそらく世界的に見ても、音楽とモードとちゃんと結びつけられた人って、トノバン(加藤和彦)くらいじゃないですかね。
——実は短い間の一瞬の輝きであり、体現できたミュージシャンも少ないと。
高橋
グラム・ロックの頃は、確かにファッションと音楽は結びついていました。マーク・ボランが着ていたジャケットのブランドが、アルカズークやグラニー・テイクス・ア・トリップだと聞いて、僕も同じものを買いにいったりしました。シティライツ・ストゥディオとか、YMOの衣装にも影響を与えたものもあります。トミー・ロバーツがミスター・フリーダムの次に立ち上げた最後のブランドなんですが、一般的には知られてなかったですね。