火花散る『摩天楼のヒロイン』の現場
―佳孝さんがデビューするまでの流れは、72年にフジテレビの番組『リブ・ヤング』のシンガー・ソングライター・コンテストで3位になり、73年に松本隆さんプロデュースのアルバム『摩天楼のヒロイン』がリリース――ということになるわけですが、72~73年の間にどういう経緯があったのでしょうか。
フォークソングをやっていた後輩から、「俺達、コンテストに曲を出すんですけど、南さんもどうですか」といわれて。ちょっとした譜面書いてカセットと一緒に出したら、僕のほうが3位になっちゃってね。最初はフジテレビの音楽出版からレコードを出す話もあったんですが、実現する気配がないので、自主的にスタジオでデモテープを録音し始めたんです。当時、10曲くらいオリジナルができていたんでね。そうしたら、さっきの後輩が、なぜか松本隆を連れてスタジオに現れたんですよ。
―えっ!? それは驚きですね。

『摩天楼のヒロイン』リリースと同時に
1973 年9 月に行われた、はっぴいえんどの
解散記念コンサート
「CITY─Last Time Around」に出演。

最初は「あの、はっぴいえんどの?」って感じだったんですが、話しているうちに意気投合しちゃって。彼の西麻布の実家で話し込んでいたら、「デモテープの曲もいいけど、全く新しいものをこれからつくろう」ということになりました。「つくろう」から始まって、2週間で全部、新しい曲を書いたんです。23歳の時に。今の僕には、あの時の勢いは、もうないな(笑)。松本隆は作詞だけではなくて、プロデュース能力もすごいんですよ。松田聖子でも、隅々まで全部分かってプロデュースしているんだと思う。デビューのタイミングで松本隆に会えたのは、本当にハッピーだったと思います。彼は「細野(晴臣)さんと会わなかったら、今の自分はない」というけれど、僕からいわせれば「松本隆と会ってなかったら、今の自分はない」ということになる。そう本人に直接伝えたこともありますよ。
―一緒にレコーディングしたメンバーはいかがでしたか。
いや、あの時のみんなの目、信じられないくらい真剣でしたね。細野さん、(鈴木)茂、ミッチ(林立夫)、小原(礼)……なんかもう食い入るような目というか、かじられるんじゃないか(笑)っていうくらいに真剣だったから。もう火花が散るような。いや、本当にハッピーですよ、ああいった人達と、最初から一緒にレコーディングできたことは。僕は全然違う畑から入ってきたのに。
―皆さん初対面だったわけですよね。
(アレンジを担当した)矢野誠さんは、ジャズの世界の先輩だったので、以前から知り合いだったんですよ。当時から「はっぴいえんどはいいぞ、お前」といっていましたね。家も近所で、僕のうちから自転車で10分くらいだったかな。ミュージシャン達が集まる、ちょっとサロンっぽい感じだった。後から聞いたら、(山下)達郎とかも来ていたそうです。

『摩天楼のヒロイン』リリースと同時に1973 年9 月に行われた、はっぴいえんどの解散記念コンサート「CITY─Last Time Around」に出演。

ソングライターとシンガーの間で
―時代的にも、はっぴいえんどが解散して、次のものを生み出そうという雰囲気があったのでしょうね。
あの頃は、何かいいものをつくろう、人がやっていないことをやろうという空気に溢れていたんですよ。テレビから流れてくる歌謡曲的なものにひと泡吹かせたいというか、いいものさえつくっていれば、いつか結果もついてくると思っていました。
―この頃にはもう、シンガー・ソングライターとしてやっていけるという気持ちになっていたのでしょうか。

1976 年、箱根のスタジオ「ロックウェル」で合宿しながら行われた
『忘れられた夏』のレコーディング風景。

1977 年に開催された「ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート」に南佳孝
withブレッド&バターとして出演(写真左から二人目)。
ブレッド&バターのメンバーの他、中央にはジョン・セバスチャン
(ラヴィン・スプーンフル)、そして桑名正博の姿も見える。

『摩天楼のヒロイン』でデビューしたのが23歳で、25歳の時に村井(邦彦)さんのアルファレコードと作曲家契約をしたんです。月に8万円もらえるようになって、やっとこれで食っていけると思った。もともと作曲家としてやっていきたいと思っていたので、本当にうれしかったですね。週に書けるだけ書いてこいといわれて、駒場東大前に部屋を借りて住むようになりました。だから僕は自分のアルバムは『摩天楼のヒロイン』で終わると思っていたし、もっというと、あれはみんなでショーとか映画を作るようにやったものだから、あくまで共同作業で、自分だけのアルバムじゃないと思っていた。本当のデビュー・アルバムは、作詞・作曲を自分でやって、ヘッドアレンジもアイディアを出して、76年にソニーから出した『忘れられた夏』だと思っています。

1976 年、箱根のスタジオ「ロックウェル」で合宿しながら行われた『忘れられた夏』のレコーディング風景。

―ソングライターとしてだけではなく、シンガーとしてもスタートが切れたということでしょうか。
いや、本当に僕は歌うつもりは全然なかったんですよ。もう黒子に徹して、とにかく作曲だけでやっていきたかったんです。それがソニーに移ってから、高久(光雄/71年に日本コロムビアから当時のCBSソニーに転職)さんというディレクターに「歌をちゃんとやったほうがいい」とアドヴァイスされたんです。「発声の練習の先生のところに行ってみたら」「このアルバムを聴いておくといいよ」とかたくさんサジェスチョンをしてくれて、高久さんには本当に世話になりました。そういえばソニーのプロモーターの人が『忘れられた夏』を持って有線にいったら、「この人に演歌を歌わせなさい」といわれたそうです。「この声は演歌向きでしょう」と(笑)。
——的外れな発言だとは思いますが、有線の方にしてみればヒットの予感がするという意味で、そんなことをいったのかもしれませんね(笑)。

1977 年に開催された「ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート」に南佳孝 withブレッド&バターとして出演(写真左から二人目)。ブレッド&バターのメンバーの他、中央にはジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフル)、そして桑名正博の姿も見える。

南佳孝を聴く。45年を超えて輝く「佳孝サウンド」。

『摩天楼のヒロイン』

1973年のデビュー・アルバム。松本隆のプロデュースの元、当時としては画期的なコンセプト・アルバムとして完成。作曲は南佳孝。本人作詞の「ここでひとやすみ」以外はすべて松本隆が作詞を担当。アレンジは松本隆・矢野誠。2018年に45周年記念のデラックス盤が登場した。(SOLID / 2,592円)

『Dear My Generation』

デビュー45周年を迎えた2018年9月にリリースされた最新オリジナル・フル・アルバム。書きためていた楽曲の中から収録曲を厳選。斉藤和義、太田裕美、Charをゲストに迎えて、シティポップの香りをまとった大人のラブソングから、やんちゃなロックチューンまでを披露。(キャピタル・ヴィレッジ / 3,240円)

『忘れられた夏』

全編が本人の作詞作曲で制作され、「実質上のデビュー盤」となった1976年の2ndアルバム。箱根に合宿しながらバンドと共にサウンドを築き上げた、まさに「佳孝サウンド」の原点。(ソニー・ミュージック/配信:1,572円)

『SOUTH OF THE BORDER』

作詞に来生えつ子、松任谷由実、三浦徳子などを迎えた1978年の3rdアルバム。全編のアレンジを坂本龍一が担当。「吉田保リマスタリングシリーズ」として2014年に再発された。(ソニー・ミュージック/ 2,592円)

『SPEAK LOW』

郷ひろみが「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」としてカヴァーした「モンロー・ウォーク」を収録した1979年のアルバム。2013年にBlu-specCD2で再発されている。(ソニー・ミュージック/ 1,944円)

『ラジオな曲たち ~ NIGHT & DAY~』

パーソナリティーを務めるFMCOCOLO「NIGHT AND DAY」での弾き語りコーナー“レディオソロイズム” から誕生したカヴァー・アルバム。2019年秋には第2弾を発売予定。(キャピタル・ヴィレッジ / 3,240円)