PHOTO:井出情児

歌い出しだけで、リスナーの心を鷲づかみにする深く、美しい歌声。その圧倒的な力量から、南佳孝さんは自他共に認める歌の天才少年――ナチュラル・ボーン・シンガーだったのではないかと想像していた。しかし、歌への自意識の芽生えについて投げかけた質問に対する、ご本人の答えは「僕は子供の頃、本当に歌がヘタクソで、音程もとれなかった……」。ビートルズに影響を受けたバンドではドラムを担当し、その後ジャズ・ギタリストに師事をし、最終的にはソングライターに目標を定める。ジャズ喫茶でアルバイトをしながら、ジャズを浴びるように聴き続ける。ロックのフィールドにいた同世代の東京出身ミュージシャン達とは異なる道を進みながら、デビュー時には合流をして名盤をつくり上げるまでのストーリー。「ソングライター」を目指した若者に「シンガー」としての才能が開花し「シンガー・ソングライター」が誕生するまでの彷徨。

PHOTO:井出情児

洋楽との出会い、ビートルズの衝撃
―佳孝さんは1950年のお生まれで、東京の大田区出身ということで……大田区はどのあたりなんでしょうか。
僕は池上というところで生まれて、すぐに久が原に移りました。
―後に同世代の東京出身のミュージシャン達と出会うことになりますが、やはり皆さん環境的な共通項はあるものなのでしょうか。
みんなの話を聞いていると、ひと言でいえば、いいとこのお坊ちゃん、お嬢ちゃんですよね。僕らの世代は、そうじゃなきゃ学生時代に音楽なんか始められなかったんですよ。
―それと皆さんの共通項をもう一つ挙げると、文化的な感度が高いお兄さんかお姉さんがいた、ということでしょうか。
そうでしょうね。あの頃は一人っ子の家庭は少なかったと思うんです。兄弟、姉妹は2~3人、4~5人いるのが当たり前で。僕もそうでしたけれど、その中に外国かぶれというか、洋楽や海外の映画や本に触れている兄や姉がいると影響を受けますよね。特に僕は妹が生まれる6~7歳まで一番下でしたからね。家にあったレコード・プレイヤーを勝手に動かして怒られたりしながら、兄貴や姉貴が聴いていたナット・キング・コール、フランク・シナトラ、ジュリー・ロンドン、ペリー・コモ、ハリー・ベラフォンテ、プラターズなんかを知ったのが音楽との出会いですよ。しょっちゅう家でかかっているので、「この曲はいいな」とか無意識に考えるようになっていったというか。「この人は歌うまいけど、この人はそうでもないな」なんて思っていたんじゃないですか。小学校高学年くらいになると、自分でラジオ番組も聴くようになって。そんな中で一番大きかったのがビートルズを知ったことです。中学2~3年の頃だったかな。
―ビートルズを最初に聴いたのはラジオですか。

中学から高校に入った頃。実家の縁側でテスコのギターをかきならす。

そうです。「抱きしめたい」なんかをFENの番組で聴いたと思います。ビートルズは兄貴、姉貴の影響を受けたわけじゃなくて、僕にドンピシャだったんですよ。中学生向けの雑誌で『中学生の友』ってあったじゃないですか。そこにビートルズの記事が出ていたのも憶えていますね。友達にも音楽好きのヤツがクラスに2~3人はいて、先週のトップ40では誰が1位だったとか、そんな話をしていたんです。冬休みに友達が家に遊びに来て、ビートルズの話になった時、「じゃあ、レコードを買いに行こう!」となって、自転車で大森まで行きました。1500円で買った『ミート・ザ・ビートルズ』を友達と家で聴いたら、もうドカーン!ですよ。うわっ、すげえなとホントに思いましたね。ビートルズは深くのめり込んで、仲間と「高校に入ったらバンドやろう」ということになり、今度はみんなでテスコのエレキ買いに行きました。全員がエレキ・ギター担当だったらバンドにならないので(笑)、じゃんけんをして、負けた僕がドラムをやることになりました。鴬谷のボンボンがメンバーにいて、家に蔵があったんですよ。観音開きの分厚いドアを閉めちゃうと、音が外に漏れなかったので、彼の家でよく練習していましたね。

中学から高校に入った頃。実家の縁側でテスコのギターをかきならす。

自分たちで曲を作り演奏すること
―ビートルズが楽器を手にし、バンドを始めるきっかけだったのですね。ビートルズの圧倒的な魅力は、どこにあったのでしょうか。
サウンドもそうだけど、やっぱり自分達で曲をつくって、自分達で演奏することが、とにかくすごいと思いましたね。当時のライナーノーツは高崎一郎さんでしたが、それを読んで自分も曲を書かなきゃいけないんだと思い込みました。後に機会があって、ビートルズの曲をコピーして、一人多重録音をしたことがありましたが、改めて圧倒的だなと感じました。演奏力も歌も。特にコーラスがいいんだよね。ジョン・レノンとポール・マッカートニー、同じバンドに2人リード・シンガーがいるというのは、やっぱりすごい。
―小、中学生の頃に聴いていた音楽の話でも、「この人は歌うまいけど、この人はそうでもないな」と感じていたとおっしゃっていましたし、佳孝さんはヴォーカルに、歌に意識的だったのではないでしょうか。
確かに「フランク・シナトラは態度が大きいけれど(笑)、それほど歌はうまくないな」なんて思っていましたね。ナット・キング・コールやトニー・ベネットのほうが全然うまいなって。でも、別に僕だけではなくて、浜口茂外也もそう思っていたといっていましたよ(笑)。
―ジャズだと楽器演奏というか、サウンドに惹かれる人も多いと思いますが、佳孝さんの耳には歌が最初に飛び込んでくるといった感じだったのでしょうか。
そうかもしれない。僕は子供の頃、本当に歌がヘタクソで、音程もとれなかったんですが、歌を聴くのは好きだったんですよ。アニタ・オデイとか好きだったな。器楽曲では、当時マントヴァーニのオーケストラなんかが流行っていて、一番上の兄貴のライブラリーにもありましたが、あまりピンときませんでしたね(笑)。
―ビートルズ以外では、ジャズのスタンダード・ナンバーなどを聴くことのほうが多かったのでしょうか。
そうです。僕はどちらかといえばジャズ。ナット・キング・コールのピアノを弾いて歌う、ああいうスタイルに知らず知らずのうちに影響を受けていたのだと思います。高校の時にバンドをやっていて、受験を控えた夏でやめちゃいましたが、大学(明治学院大学)に入ってからまた始めて、ジャズっぽいのをやり出しましたから。