中学から慶應義塾で学生時代を過ごした松本隆さんは、中学時代の終わりから同級生とバーバリアンズというバンドを組み、高校に入ってからはバーンズと改名。大学でも活動は継続され、在学中にエイプリル・フールの一員としてプロ・デビュー。こう記すと音楽一辺倒の学生時代だったように思えるが、松本さんの文化的嗜好は多岐にわたっていた。少年時代から銀座で封切りの大作を観て、成長とともにフランスのヌーヴェルヴァーグ作品へと映画に対する興味が深まっていく。地元・青山では白土三平の『忍者武芸帳』を読むために貸本屋に通う一方、ボードレールからコクトーへと読書遍歴を重ねる。鉱石ラジオを手に入れた渋谷から行動範囲を広げ、新宿ではアングラ演劇とATG映画に出会う。街と文化が結びついた、これらの体験のすべてが、はっぴいえんどで「日本語のロック」を生み出すことにつながっていった――。