自分を突き動かした「小さな一歩」
——真面目に自分を律する気持ちと野音に飛び込んでいく行動力、学生時代の大貫さんの中で両方が共存していたところが面白いですね。
大貫
学校に遅刻しないで行くとか、休まないというのは生活の基本みたいなもので、当然だろうという感じだったので、別に自分では特に真面目だとは思っていなかったし、あたりまえのことだと。どちらかというと臆病な方ですが、そのくらいがちょうどいいんだろうと思います。臆病な自分が、どうしてもしたいこと。自分を突き動かしてしまうことが、小さな第一歩なんだと。そうやって積み重ねる経験が、その時はわからなくても今に繋がっているのだと思います。好奇心だけで行動することはないですね。海外にもたくさん行きましたが、夜にひとりで出歩くなんてことは、絶対に!!しない(笑)
——日々の生活で常に親に心配かけたくないという気持ちも持っていて。
大貫
まあ、そうですね……でも、親だけではなく、人さまに心配かけたくないと思うのはごく普通ですよね?
——基本は守るけれど、型にはめられたくはないという感じでしょうか。
大貫
小学校の低学年の時から、必ず通信簿に「協調性がありません」と書かれていましたね。そこは根本的な性格なんじゃないですかね。
幼稚園の頃のことでしっかり憶えているのは、父兄参観日があって、男の子も女の子もみんなでお遊びしましょう、工作でも折り紙でも、おままごとでもいいですよ、どうぞご自由にと言われた時に、女の子が遊んでいる場所には絶対に行かなかった(笑)。男の子たちと一緒に飛行機とかをつくっていましたね。女の子に対して「あの子たちと一緒だと思われるのはイヤ」とはっきり思っていましたから。幼稚園ですでに自我というか自意識があったわけで……今思うとなんかイヤな子どもですね(笑)。バレエを習っていた時もそうだったように、子どもは子どもで意外とよく社会を認識しているというのが、今でも経験上わかることで。ですから幼い子どもを子ども扱いしない、というのが私の心情です。
——音楽以外の文化、例えば文学や漫画などにも触れていましたか。
大貫
漫画は購読していた「少女フレンド」と「マーガレット」、兄が読んでいた『少年サンデー』ですね。でもやはり音楽がいちばん好きでした。
——意外ですね。ロック少女ではあったが、文学少女ではなかったと
大貫
全く文学少女じゃないです。読んでいたのはレコードについている歌詞カードくらい。洋楽の歌詞は、あとから多少英語が分かるようになって読むと、気づくことがたくさんありますね。意外とこんなとりとめない歌詞だったんだ、とか。
自分を守って媚びないのが「ロック」
——村八分の存在はどこから知ったのでしょうか。
大貫
憶えていません(笑)。ラジオだったのかな。FEN以外に「オールナイトニッポン」も聴いていましたし。その頃は古井戸も聴いていましたね。レコードも買って持っていました。ガロも聴いていました。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングみたいだと思った。どんどん好きなものは変わっていくんですよね。
——初めて自分で買ったロックのレコードは?
大貫
ロックで初めて買ったのは、グランド・ファンク・レイルロードの赤いジャケットの『グランド・ファンク』。今も持っていますね。さすがに雨の後楽園球場のコンサート(1971年)までは行けませんでしたけれど。
——ティーンエイジャーだった大貫さんは、ロックという音楽のどこに魅力を感じたのでしょうか。
大貫
ロックって音楽ジャンルのことではないと思うんですよね。若い頃は、古めかしい言い方をするなら、その定義を反体制、反権力、だと思っていましたが。自分が自分であることを守り媚びない姿勢がロックなんだと思っています。ロックのふりしてロックっぽい音楽をやっていても、中身はロックじゃない人もいますから。フランス録音とかしたりしていた頃も、渋谷陽一さんのインタビューを受けた時に、「大貫妙子はロックである」とおっしゃっていましたから。そいうことにしておきます。
——ロックが好きだと思っていても、自分で歌うとなると、また違った距離感が出てくるものでしょうか。
大貫
若い頃はジャニス・ジョプリンみたいになりたいなと思っていて、なんとか声をハスキーにしたくてお酒を飲んで、大声で歌ったりすると、声がハスキーになったと喜んでいました。でも、一夜明けると元の声に戻っちゃうんですよね、何度やっても。音楽のカテゴリーとして声がロック向きじゃないというのは決定的なことなんです。シュガー・ベイブや最初のソロの頃は、今より太い感じで声を出していたんですけれど、今聴くとすべて消去したいという気分になります。手本とするものにこだわりすぎていた。若い頃は自分の声が好きではなかった。でも、ある時から考えが変わってきて、受け入れるということ。自分が歌を続けられているのは、この声だったからだろうし、声だけではなく色々なことに感謝しなきゃいけないなという気持ちになりました。この声を最大限に活かすためにどういうサウンドをつくっていくか、それをまず考えるようになりました。